披露宴の見方

いつだって、他人(ひと)の新たな門出に立ち会えることは、とても幸せなことです。

仲の良い友人でも、たとえ憎んだ人でも、この瞬間を覚えておきたいと思います。


みなさんは披露宴って参加したことありますか。美味しいものが食べられるし、久しぶりに会う友人と言葉を交わすことも出来ます。またセンスの欠片もない新婦のウェディングドレスを眺めたり、酔ってどうしようもなくなった大人たちを傍観するのはとても楽しいことです。


披露宴というのは、ホスト(新郎新婦)にとってとても悩ましいイベントだろうな、と思います。主役は新郎新婦であるはずなのに、観る者を楽しませるというエンターテインメント性もなければいけない。このバランスはきっと式場のスタッフの方などとの綿密な打ち合わせで調整されていくのでしょう。


人は冷静なので、料理がまずいとか、余興がくだらないとか、引き出物が何の役にも立たないゴミばかりなどということがあれば、祝福する気持ちは自然と薄れていくものです(僕だけか)。ぬかりなく準備する必要があるけれど、そのうちに主役であるはずの新郎新婦が辟易としてくる。サドンデスと化す新婦のウエディングドレス選びに新郎はくたびれて「もうなんでもいいよ」状態。でもそれは決して口に出してはいけません。招待状のデザインはどうする、引き出物はどうする、音楽は?ご飯は?お色直しに付き添う人は?など。それはもう大変です。比較的これらの選択権をどちらが握るかで、今後の夫婦関係を見通すことができるようです。またお互いの両親、おまけに祖父母まで演出に口出ししてくると目も当てられなくなります。なぜなら古い前時代的な価値観は誰も幸せにしないからです。


何はともあれ、その華やかな"ステージ"は血反吐を吐く思いで作り上げた二人の根性の結晶なのです。準備にかけた時間やお金に比べれば、本番なんて一瞬なのです。その一瞬にかける精神にいつも目を見張る僕です。


kohei